この記事は、当ブログ主がどんな人物なのかを知ってもらえるための記事です。
結構ハードで、どん底人生を歩んできましたので、共感したり、笑ってやってください。
この記事はこんな人におすすめです
- 人生積んだと思っている人
- 人生の壁にぶち当たっている人
- 死にたいと思っている人
- 人の人生に興味がある人
- 色んな悩みを抱えている人
- 人の人生で笑いたい人
- 見下したい人ww
それ以外の人もぜひぜひ読んでみてください!!
こんなやつでも結構人生前向きにいきてるぞーーー!!
という思いで書きました。
僕の人生が少しでもどなたかの心に刺さればと思っています。
少し長くなりますが、どうぞ最後まで読んでください。
『プロフィール』
ブログ主 :TANAKAZU
生年月日 :1975年5月15日大阪生まれ。45歳の独身おやじ。頭皮剥げかけ( ;∀;)
住処 :大阪府
趣味 :サッカー観戦(リバプール大好き!!)、プロレス観戦(主にドラゴンゲート)
身長・体重:175㎝・83㎏
簡単な経歴:
1975年大阪にて生まれる。4500gのBIGベイビー。
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小学6年で身長173㎝。
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中学時代あだ名はカバタン
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高校時代、チャラ男
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大学時代、チャラ男
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自動車部品製造会社入社。ブラック企業で根性だけが成長。
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チャラ男友達とキャバクラ経営。仲間が裏社会の人間から借金をし、一億円の借金を抱えたまま倒産。
3000万の借金を被る。生活のためにキャッシングからも500万の借金。
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結婚破断
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約7年間、平均睡眠時間3時間で年中無休で、普通のアルバイトから闇のバイトまで複数かけもち。
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母親の死
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裏社会の返済が終わったところで力尽き、自己破産。
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一年間、ラブホテルで無気力アルバイト生活。
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そろそろ真面目に生きようと考えていた時に、今の彼女と出会い、介護の世界に興味を持つ。
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ラブホテルのアルバイトを続けながら、介護資格取得のために学校に通う。
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資格取得し、学校で知り合った友達の施設に入社。
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施設の社長からのアドバイスもあり、介護とは関係のないアパレル会社を設立。
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介護士を続けながら現在に至る。
『少年時代』
*写真はイメージです。本人ではありませんww
大阪の寝屋川市で4500gのBIGベイビーとして生まれました。
その後、京都府、奈良県と移り住み、また幼稚園の頃に大阪市平野区に移り住む。
キャプテン翼をこよなく愛するサッカー少年でした。
小学6年生の頃には、身長173㎝に。おっさんが半ズボンでランドセルを背負って登校してました(;^ω^)
卒業式での個別のセリフは、「こんなに大きくなりました」完全にウケ狙いですよねww
中学生の頃は学校の成績はオール4。サッカー部のキャプテンなどやってたので、人生で一番モテてました。
卒業式の時は、制服のボタンが全部なくなってしまうほど。
あまりにも早すぎるモテ期。。。(T_T)
『チャラ男時代突入』

高校時代は、サッカーには目もくれず、女の子に夢中でした。
学校の仲間とイベントサークルを作って、パーティー券を売りさばく毎日。
ディスコ(今でいうクラブ)を貸し切ってイベントを開催し、女の子をナンパしまくってました。
結局、一回のイベントで2000人くらい動員するサークルにまで発展したのはいいものの、ほかのグループとの喧嘩やお金が絡んでくると仲間割れが発生し空中分解。
僕は、お金よりも女の子に夢中だったので、夜の街には残ったが、イベントサークルには二度と入りませんでした。
付属高校に通っていたため、何の目的もなく大学に進学。
相も変わらず毎晩夜の街に繰り出しては、クラブでナンパの日々。
将来のことなんてまったく考えてませんでしたねww(この時期は本当に後悔してます)
学生の方が読んでるなら、この時期にしっかり将来の事を考えておかないと本当にしんどいですからねーー!!
『ブラック会社員時代』

このころは、ちょうど就職氷河期。
そんな時期にチャラーい学生時代を過ごしていたのですから、就職活動も何の目的もなくというか、自分が何をやりたいのかわからないまま、就職先を決めてしまいます。
就職先は、自動車部品の製造業で今でいうブラック企業に就職しました。
手取りの給料25万円ほどで、先輩社員もほとんど朝8時から24時くらいは普通に笑顔で働いておりました。
感覚がマヒしてたんですね(;^ω^)
日々働いていくうちに徐々に経営者ファミリーからの暴力・暴言が目立つように。
「お前たちは、この会社から給料を貰っているのだから、俺たちの言うことをきくのは当たり前。ていうか、言うことだけを聞いておけ。余計なことはするな。決して足を引っ張るな。」
こんな感じですww
社長がお客様を連れて工場を案内してる時に、もし挨拶を忘れようものなら。。。
そのあと社長の息子がやってきて右フックなんて事も日常茶飯事。

18時で退社するのに社長の息子に理由を言わないといけないという。
早退でもするかのような時間のマヒ。まるで体育会系の部活のような毎日。
そんな中で働いていると、根性がついてきて、これが普通なんだと感覚がマヒしてくるんですよ。
「俺はここで生き残っている」みたいなww
残っている社員はみんなピリピリしていて、上司にも平気で噛みついていましたねww
ファミリー以外の上下関係なんてあったもんじゃないww
3年後、係長に昇進したのはいいんですが、昇給はありませんでした。
ファミリー曰く、「頑張ってるから、肩書きで評価してやったんや。ありがたいと思え。昇給はお前が金になる人間になってからや。」
忘れられないセリフでした。
やっと、やっとこの時に退職を考えるようになりました(遅すぎww)
辞表を提出した時も大変でした。
「係長にしてやったのにやめんのか?何が気に入らんねん?」からの鉄拳。
なんかその時、笑ってしまっておまけに数発もらいましたww
「半年後やな、半年我慢せえ。そしたら昇給考えたる。」
まぁ次の日から行きませんでしたけどねww
ある日、ファミリーからの暴力で辞めた先輩が会社の前にいたんです。
たまたま僕がたばこを買いに外に出たときにばったり会ってお話ししていると、どうやら仕返しにやってきたとのこと。
カバンの中から出刃包丁が見えました。
社長の息子を殺す気だったんですよ。
僕は、「あんな奴で人生棒に振るのはもったいない!!殴るのはいいけど刺すのはやめたほうがいい!!」
って必死でなだめました。
今思うと、止めなければ良かったと思いますよww
この会社、いまだに成長を続けている業界では有名な企業になっております。
理解できなーーーい!!(一一”)
『キャバクラを経営』

退職後、チャラ男時代の友達とよく遊ぶようになり、29歳の時にその時代の友人2人からの誘いでキャバクラを経営することに。
経営といってもお金を出しただけで、後輩に任せて全く何もしない肩書きのみの経営者。
店になんかまったく顔を出さず、何にもしなくても2か月後には月収200万ほどを手にして人格が変わる。
完全に勘違いして、毎日遊び惚ける毎日。
そんな経営で長続きすることもなく2年も経たずに倒産。
その時に初めて、裏社会の人間との繋がりを知ることに。
共同経営者の一人が裏社会の人間から融資を受けてたんです。
本当のところの金額は不明ですが、約一億円の損害を受けたと怒鳴り込んで来られる。
どんだけ争ってもこっちはしょせん素人。喧嘩のプロには勝てません。
結局3等分して、借金約3000万(T_T)
今なら弁護士に相談するなりして返済しないと思います。
でもその頃は、まったく知識のないただのクソガキ。相手は裏社会の人間。
返済の一択しか頭になかったんですね( ;∀;)
『結婚破断・借金返済・母の死。人生のどん底30代』
結婚破断

借金を抱えてまず、大変だったのは、当時4年付き合っていた彼女にどうやって説明するかでした。
ご両親にも挨拶を済ませ、結婚式場もほぼ決まりかけてた時期に抱えた借金。
悩みに悩んで、結局嘘をついても仕方ないと思い、正直に告白。
彼女は泣き崩れる。
彼女の決断は、別れることでした。
筆者もついてきてくれとは言える状況ではなかったので、受け入れるしかありませんでした。
まず彼女のご両親に事の説明を。
お母様の必死で涙をこらえて僕を励ましてくれた姿は今でも忘れられません。
お父様も最後は笑顔で送り出してくださいました。
一番つらかった彼女は、風のうわさで現在はお子様もできて幸せに暮らしているそうです。
彼女の人生を狂わせてしまったという自責の念に駆られていましたが、その話を聞いて、自分勝手ですが安心しました。
これからも彼女の幸せを陰ながら祈ってます。
借金返済

さあ借金問題です。
揉めに揉めた話し合いの末、一括なんて返済できるわけがないので、利息無しの年500万の返済で一応の決着。
年500万の返済も無茶苦茶なんですけどねwwその時は意地ですよ意地!!
もう人生終わり。どうでもいいわ(-_-;)って感じのやけくそでした。
正社員だと時間の融通が利かないので、割のいいアルバイトを最大5件掛け持ち。
生活費が苦しい月は消費者金融でお金を借りて何とかやりくりするも、始めのうちは効率よくお金を稼ぐことなんてできなっかたので、基本的に生活費は、消費者金融頼みになってました。
返済しながら、別の借金が日々増えていく...
意味わかんないですよね( ;∀;)
とにかく時給や日給のいい仕事は短期間で終了するものが多く、なかなか安定して収入を得ることができませんでした。
それでも月収は50万ほどありました。
こんなに稼げた理由は?理由はですねぇ...法に触れるようなバイトもやっていたからですね(/ω\)
もちろんそんなバイトは現在は卒業してますよ!!
そんなことでもしないと年500万の借金なんて返済できませんでした。
もう本当に人格破綻してました。
平均睡眠時間3時間ほどで約7年間で4日だけ休んだ以外はひたすら働いてました。
今思うとよく働けたものです(;^ω^)
最愛の母の死

自暴自棄になりながらも、借金の返済に明け暮れていたある日、母が乳癌の知らせを受ける。
手術には立ち会って、医師からの話ではステージ4の末期がん。余命半年。
目の前が真っ暗になって、人目もはばからず号泣したのを覚えています。
結婚破談、借金地獄...
母には何の親孝行もできないまま...
最低、最悪の息子ですよね。
正直このころの記憶があんまりないんですよね。
面会に行くたびに日々弱っていく母を見てると本当につらくてつらくて。
母の最期を看取ることができたのがせめてもの救いでした。
だけど、息子として何の親孝行もできなかった自分をいまだに許せてないのは確かです。
7年間で休んだ4日間は母の看取りと葬式の時だけでした。
本当に僕の30代は「無」でした。いい思い出なんてひとつもありませんでした。
『3000万円返済終了。気力・体力の限界で自己破産』

糞みたいな30代も後半を迎えたころ、なんとか裏社会の人間への返済が終了を迎えました。
最後の返済をしに裏社会の人間のところに向かった時、「もしまだお金のことを言ってきたら殺してやろう」と、ナイフを3本忍ばせて向かいました。
予想外にも相手は気分よく縁を断ち切ることを約束してくれ、なんなら、裏社会への勧誘がありましたが丁重にお断りして帰宅。
もうすべての呪縛から解放された気分で、完全に緊張の糸が切れてしまいました。
今でも忘れられないのが、その日が金曜日の夜だったんです。お風呂に入ってパンツ一丁で椅子に座ってタバコを吸っていたんです。
その時一瞬睡魔に襲われて寝落ちしたんですよ。
体感的には10分ほど。
でも起きた時にテレビでサザエさんが流れていたんですよ...
意味が分からなくて確認すると、土曜日飛び越えて日曜日だったんです!!!!
身体は疲れ切っていたんですね。
完全に返済終了モードに入ってしまった僕は、消費者金融の返済があるにもかかわらず、徐々にバイトを減らして返済が滞るようになりました。
その時の消費者金融の借金約400万円。
父にも心配をかけまいと全く相談していなかったんですが、当時周りに相談できる相手もおらず、さすがに現状を告白してみることに。
その時に初めて自己破産を詳しく知ることに。
勝手に僕みたいなクズ人間は、自己破産できるレベルに無いって判断してたんです。
しかも弁護士に払う費用なんてあるわけないし。
父から勧められたのは、市役所の無料相談でした。
いやいや。税金も払っていない僕が、市役所の無料相談を受けられる資格なんてないやーーん( ;∀;)
と思っていましたが、それはそれ、これはこれ。特に問題はありませんでした。
弁護士さんに相談したところ、自己破産できるとのことだったんで、これも何かの縁だと思って、相談に乗ってくださった弁護士さんにお願いすることに。
そこからは、弁護士さんの指示に従ってことを進めていって、金額も高額で、ちょっと不明な点もあったので半年ほど期間は掛かりましたが、地方裁判所まで行って集団審尋を受け、無事に自己破産成立となりました。
この時の年齢39歳。
『ラブホテルでのアルバイト時代・彼女との出会い』

なぜにラブホテル?
ただ単に家の近所にラブホテル街があったんですww
まだ気力、体力ともに戻ってなかったといいますか、ぶっちゃけ社会復帰する自信がなかったんです。
だからとりあえず、無職もなんだからと、働いてみたものの...
ラブホテルの仕事、めっちゃしんどいです( ;∀;)
とくに僕の働いていたラブホテルは地域で一番のホテルだったので一日中走り回ってました。
簡単に10㎏痩せましたww
ダイエットしたい方にはお勧めですよ!!
ラブホテルでアルバイトなのに、サブチーフみたいな地位を頂いた頃、そんな時期に今の彼女と出会ったんです。
自己破産してお金も無いし、いい年してアルバイト生活を送っている僕を普通に受け入れてくれた人。
ちょっと変わってますよねww
「今から頑張るんやろ?」いいんじゃないのww
今でもこんな感じで寄り添ってくれてます。
彼女は当時、介護士でした。
ラブホテルで社員の道もあったのですが、彼女から僕は介護士に向いているとアドバイスを受け、介護の世界に興味を持つようになりました。
彼女との出会いがきっかけで、僕は徐々に前を向いて歩けるようになってきました。
ラブホテルでアルバイトしてなかったら多分彼女と出会ってないので、ラブホテルでのアルバイトは大正解でした。
ラブホテルのアルバイトの話も面白いことがたくさんあったので、またの機会に投稿したいと思います。
『第2の人生:介護の世界へ』

彼女からの強い勧めもあって、時間には余裕があったのでとりあえず介護士としての始めの資格、「初任者研修」の資格を取ってみようと、介護の学校に通ってみることに。
最終日にめちゃくちゃ簡単なテストがあって、これで100点取ったら介護の世界へ、それ以外なら別の道へ。
結果は100点。
これで第2の人生は介護士として歩むことに決めました。
ここでも運命的な出会いがあり、今働いている施設の社員が僕の隣の席でずっと授業を受けてた人で、仲良くなって「ぜひうちで働いて欲しい!!」という大変うれしい言葉を貰って、喜んでお世話になることに。
幸運にも社長以下大変フレンドリーで会社というよりはファミリーというアットホームな感じの社風だったので気持ちよくすんなり溶け込むことができたんです。
で、実際の介護の仕事はというと、やっぱり働く前の印象は、
- しんどい
- 大変
- 汚い
- 給料少ない
- 休み少ない
- 夜勤もある
こんな感じでした。
ですが、もちろん印象通りの部分もあるし、相手は人なんでマニュアルなんて通用しないので大変ですよ。
大変なんですけどどねぇ...
楽しいんですよww
また介護の楽しさ大変さは、別の機会に思いっきり語らせてもらいます!!
だからいまだに続けてるんですけどね。
今までいろんな仕事してきましたけど、やりがいだけを考えたら、介護の仕事がダントツでしたね。
もしこの記事を読んでいる方で介護の世界を考えている方がいらっしゃるのなら、ぜひ一度飛び込んでみてください!!
『介護をやりながら会社設立』

勤めている老人ホームの社長の勧めもあり株式会社設立を決意。
うちの社長がまた変わり者で(読まれたら怒られるww)
スタッフと一緒に夜勤をするんです。資格もないのに(また怒られるww)
僕がたまたま、自分が着たいだけのために、世界で一着のオリジナルTシャツを作って遊んでいたんです。
その話をしたところ、「なぜ商品化しないのか?てか、商品化しなさい!!」
ちょっと楽しそうだったので、副業でやってみようと考えていたところ、「個人事業主?いやいや、法人化しなさいよ。株式会社作りましょ!!」
こんな感じで、起業することになりました。
オリジナルTシャツは2種類。これが売れないと次が作れないんですよ(涙)
読者の皆さんもいかがですか?
良かったら覗いてみてください!!
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まだまだ勉強不足でまだまだ小さな小さな会社です。
まだ始まったばかりなので潰れないように必死でがんばってまーーーす!!
『最後に』

どうでしたか?
僕の自己紹介。長ーーーい自己紹介でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
自分でも結構ヘビーな人生を歩んでいると思います。
正直に言うと自殺も数えきれないほど考えました。
ただ単に自殺する根性がなかったんですよ。
でも今思うと、自殺しなくてよかったと思っていますよ!!
まだ100万くらいしか貯金も無いし、自分の会社も全然だめだけどね。
今までと何が違うかというと、前を向いて歩けてることです。
前を向いて歩くことがこんなに楽しいなんて!!
いま、僕にはしっかり光を照らしてくれる信頼できる仲間ができました。
やっぱり、ひとりで考えていたら、まだ闇の中から抜け出せずにいただろうと思います。
人生いろんな苦難があります。
それを難なく超えていく人もいれば、僕みたいにどん底まで落ちてしまう人もいます。
この記事を読んでいる大半の人は、後者の人ではないでしょうか?
そんな人たちの心に少しでも刺さればなって...
こんなおっさんでもなんとか前を向いて歩けるようになったぞって...ww
こんなおっさんでもどん底からは抜け出せたんです。
皆さんだってその気になればあっという間に抜け出せるはず!!
これからも色々と発信できたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
